競 艇 の 歴 史

公営競技の中で「競艇」誕生が最も遅い

日本には公営競技と呼ばれるものが5種類ある。中央競馬、地方競馬、競輪、オートレースそれに競艇。
 競馬の発祥は外国ですが、競輪、オートレース、競艇は日本で誕生したものです。
 歴史的に見ると、日本では競馬が一番古く、競輪、オートレース、競艇の順で誕生しました。
 競艇がはじめて行われたのは、長崎県大村市の大村競艇場で、昭和27年4月のことです。現在は全国に北は群馬県の桐生競艇場から南は長崎県の大村競艇場まで24ヶ所がある。(海外では、平成14年6月から韓国美沙里競艇場でも行われている。)
 当初は7隻、8隻立てのレースもあったが、現在は6隻立てのレースのみである。
 また、ボートの種類は、ハイドロプレーンとランナバウトという種類があったが、ランナバウトは旋回時が危険なため平成5年3月(1993年)に廃止になり現在はハイドロプレーンのみである。

 開催当初の大村のスタンド風景

 現在、競艇場は全国(1都1府16県)に北は群馬県の桐生競艇場から南は長崎の大村競艇場まで24ヶ所あるが、一番多いときで25ヶ所(愛知県に半田競艇場が昭和28年4月に初開催したが、伊勢湾台風の被害が大きく昭和39年3月に廃止した)あった。また、住之江競艇場は従前は、別の場所で狭山競艇場(昭和27年9月初開催、昭和31年4月閉鎖)として開催していた。現在の24競艇場の初開催年月日は次のとおり。

(24競艇場の初開催日)

桐生(群馬県桐生市、昭和31年11月8日)、戸田(埼玉県戸田市、昭和29年10月14日)、多摩川(東京都府中市、以前は府中競艇場と呼んでいた。昭和29年6月9日)、平和島(東京都大田区、以前は大森競艇場と呼んでいた。昭和29年6月5日)、江戸川(東京都江戸川区、昭和30年8月12日)、浜名湖(静岡県浜名郡新居町、昭和28年8月7日)、蒲郡(愛知県蒲郡市、昭和30年8月13日)、常滑(愛知県常滑市、昭和28年7月10日)、(三重県津市、昭和27年7月4日)、三国(福井県坂井市、昭和28年4月14日)、琵琶湖(滋賀県大津市、昭和27年7月18日)、住之江(大阪市住之江区、昭和31年6月19日)、尼崎(兵庫県尼崎市、昭和27年9月14日)、丸亀(香川県丸亀市、昭和27年10月31日)、鳴門(徳島県鳴門市、昭和28年4月24日)、児島(岡山県倉敷市、昭和27年11月22日)、宮島(広島県廿日市市、昭和29年11月1日)、徳山(山口県徳山市、昭和28年8月28日)、下関(山口県下関市、昭和29年10月21日)、若松(福岡県北九州市、昭和27年11月11日)、芦屋(福岡県遠賀郡芦屋町、昭和27年11月7日)、福岡(福岡県福岡市、昭和28年9月26日)、唐津(佐賀県唐津市、昭和28年8月7日)、大村(長崎県大村市、昭和27年4月6日)



誰が競艇を考案したか

 競艇の生みの親は”笹川良一”と耳にするが、本当にそうだろうか?
 図書館で見つけた、全国モーターボート競走会連合会の年史によると、次のようなことが載っていた。興味深い話なのでここに掲載したい。

 また、全国モーターボート競走施行者協議会が作成した「競艇沿革史」に掲載されている座談会のなかでは初開催についても面白い内容が記載されている。

 笹川会長(昭和29年:高野山の定期訓練で)
競艇としての構想

 モーターボート競走を公営競技として考えたのは誰かと、よく話題になることがあるが、これら当時のことを連合会報の座談会では次のように記載している。
福島 笹川先生は当時A級戦犯で追放中で私は表面に立てないが、四面海をめぐらした島国の我が国では、国民は海によって活き海に発展していかなければ伸びる道はない。
 それには、国民の海事思想の普及と科学知識の向上が何よりも大切だが、現在の国民は戦に敗れて萎縮してしまっている。これはひとつモーターボート事業を興して青年の意気を振興し、国家のお役に立てるよう努力をしようではないかと快諾せられ、裏面での中心となって下さいました。

(注)この福島という人はこの年史によると福島世根というひとで、競艇が誕生して東京
   都モーターボート競走会の理事を勤めていたらしい。


福島世根さん(昭和36年)
 また、モーターボート競走30年史の草創期篇の『笹川会長が語る競艇30年』では、このように記されている。
笹川 なによりもまず、戦争で破壊された日本を建て直すためには金が必要であった。″個人の金″などという、たかの知れた金ではなく大きな金が必要であった。 一方、日本は四面が海であるから、発展するには『海運・造船』立国でいかなければならないのに、戦争のため造船所も懐滅的な打撃を受け、世界最低となった。これをまず建て直したい。同時に、海事思想の普及、また海外への飛躍ということを青少年に植えつけてもいかなければならない。こうしたことが第一の目的で考え出したわけです。
 向う(米国)では、モーターボートを持っている者は自動車を持っている者よりランクが高いようなことが書いてある。(ライフ誌)丁度そんなときに、B級戦犯の一人福留という海軍中将がおって、こういう話しをした。 彼がフィリピンのレイテ湾にいた頃のことだが、小さなモーターボートの前のほうに爆薬を積んでダーンと離すと、これがえらい勢いで障害物にぶつかる。で、これを「案」として海軍省に話したのだけれど、当時は大艦巨砲主義だから相手にしてくれない。もし、レイテ湾であれを持っておったら、どれだけ相手側に損害を与えることができたかわからない、というような話だった。 このようなこともヒントになって、モーターボート競走というのは面白いなという考えをもった。


何のために競艇は行われるか?

 競艇はいったい何のために行われているのだろうか?
 当初のモーターボート競走法を見ると第1条に目的が書いてあるが「この法律は、モーターボートの性能の向上等品質の改善、モーターボートに関する海外宣伝その他のモーターボートの製造に関する事業の振興に寄与し、あわせて海事思想の普及宣伝と観光事業に資するとともに、地方財政の改善を図るために行うモーターボート競走に関し規定するものとする。」とある。
 すなわち、戦後財政難の地方自治体の懐具合をよくしようというものである。
 公営競技は、我々が100円の券を購入すると、75%を我々に返し(配当金)、残りの25%の中から開催運営経費として選手の賞金含めやく20%、日本財団への交付金3%、競技の運営等の委託を受けている
競走会へ交付金として1%、現状では自治体の収益は1%あまりで、赤字に悩んでいるところも多々ある。


昭和26年5月30日、6月1日の参議院第10回国会「運輸委員会」で「モーターボート競走法案」が検討されています。その議事録を掲載いたします。⇒ここをクリック
議事録の中で登場する衆議院議員・坪内八郎氏は社団法人長崎県モーターボート競走会の初代会長(昭和26年7月〜30年5月)。
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